昭和47年12月16日 朝の御理解



 御理解 第28節
 「病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸がえをするに、八、九分かえて、退屈してやめれば、掃除はできぬ、それで、やはり水は濁っておる様な物で、信心も途中で止めれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛する様元気な心で信心せよ。」

  「一心にまめで繁盛する様元気な心で信心せよ。」今朝皆さんの事をお神様にお願いさせて頂いとりましたら、外箒のもう全然腰のない、こんなに長いですけども、全然腰がない。それでこうやって一生懸命掃わきよるけども、箒に腰がないから全然掃わかれない所を頂いた。そんな御神願を頂いた。そして二十八節ですから、今日はここでね。一心にまめで繁盛する様元気な心で信心せよと。という事がです、ね。
 井戸替えをするのに八分、九分かえて退屈してやめれば、掃除は出来ぬ。いわゆる腰折れですね。ね。腰を折っちゃ駄目です。ね。どんなに素晴らしい信心が出来ても、腰折れであっては、それこそ八分、九分かえた所しかなりゃしません。何時までたっても本当にすっきりしたおかげの頂ける筈はないと云う事をね。皆さんが一つ本気で分かって、いわゆる腰を据えてと言うか、腰を入れてと言うか、ね。
 いわゆる本腰を入れて、私は信心が頂かなきゃいけない。それは本当に病気災難は、根の切れたと思われる程しの。もう繁盛の土台が是で出来たと思える程しのおかげ。ね。所謂まめで繁盛する様に願えと。私は只今皆さんにお話しを聞いて頂くちょっと前に誰々さんがお参りしてない。もう昨日も参って来てないあれ程最近の信心を言うておってからどうして、家内なっとん参って来んじゃろうか。どうして息子でも良いじゃないか。息子の嫁でも良いじゃないかと思う心、是は責める心だなと思うてから思うた。
 そしたら神様が今あの頼めと仰ったです。頼むと云う事なら責めるという事じゃないんです。私はだから信者にでもです。折角腰を入れて信心しよるとがです。あんたそげな事じゃあんたどうするかと。最近の信心を何と頂いておるか。それこそ自分が参られんなら、例えばお電話ででも良いじゃないか。あんたがどうかあるならどうかあると言うて、電話を掛けなさい。でなかったら家内にでも頼みなさい息子にでも頼みなさい。
 今日俺がお参りが出来んけん、お前が参ってくれと言いなさい、とこう言おうと思う心が責める心。ね。けれどもはぁこりゃいかんな、責める心だなと自分で思うたら、神様が頼めと仰った。私はもう本当に神様がねどうかして、おかげを頂かせたいという気持ちが、その中からでも分かるでしょうが。私が信者に頼めと仰るのですよ。ね。そげん言うて頼めち。こりゃ、責めるとじゃなか。もうそれこそ今御理解を頂くその前にね。もう本当に神様のお心に触れて、それこそほろっとしますね。
 ですからそういうご神意御神慮に、本気でお互いが沿わせて頂くと言う事もですね。腰を入れて、ね。所謂腰のなえたごたる箒で、幾ら掃わいたっちゃ綺麗になる筈はありませんよ。ね。腰を入れてそれこそ腰々しとね。しかも家族が勢を揃えて、今日の此処ん所を言うとまめで繁盛する様に。いわゆる体の丈夫を願え、ね。その代わりに不節制な事は致しません。ね。繁盛を願えとどうぞ子孫繁盛家繁盛をお願い申します。
 その為には、無駄遣い等は致しません。仕事に忠実になります。ね。そして今の家内に不和の無きが元。お前が参れちどうして参らんかと言うのは責めるのだけれどもです。ね。参ってくれと頼めとこう仰っている。こんなら責めるとじゃない。ね。本当に子孫繁盛いや家内の円満、いわゆる家庭に不和の無きが元と言う事を願うからには責めません。もう金輪際是から先でも人を責める様な事は致しません。そういう事がです。今合楽で言われておる、ね。そしてねそれは本当の御用が出来る事の為に願う。
 本当に天地の親神様のご悲願が、ご成就する事の為に行き、お使い回しを頂く為に願うのだ。だから頼んででも、やはり信心の稽古をして貰わなけば、ならんという事が分かる。昨日は色々とおかげを頂きました。もう本当に晩休ませて頂くまで、そのお取次ぎの内容お取次ぎを頂かせてもらう。もう本当に有難い。昨日は御霊様のお祭りが三つありました。ね。それから本当におかげを頂いての御礼お届けが幾つもありました。中にも熊本の富永先生から、昨日午後の奉仕に出た時でしたか。
 十二時ちょっと過ぎ電話が掛かって来た。親先生ですかと言うたら声が詰って物が出らん。はい大坪ですよ、大坪ですよと仕切りしてから、それこそもう声涙にむせんでと言うのはあれの事でしょう。おかげで大変なおかげを頂きましたち言うて。もう今度ばかりは、親先生のお祈りと、信者の祈り添えによる事で御座いますと。この度は本当に私の今度の病気で、信者がご信心お育てを頂きまして有難う御座いますと云う事を、もうそれこそ電話で涙ながらにです、お届けが御座いました。ね。
 夕べ十時、やんがて十一時ごろでししょうか。あちらのご信者さんが、あの上野さん達兄弟が、昨日は三人参ってまいりました。三人兄弟なんです。何時も兄さんと弟さんと、二人で参って来ますけれども。昨日は一番下の弟さんも三人で、そすとあちらの教会長の奥さんと、四人で参ってきました。私昨日朝から、ここで何回も頂く事は、あれはあの、今、中国から来ておる珍獣がおりましょうが。
 あら高橋さん何とか言いましたね。パンダ、パンダか。あのパンダが三匹、御広前できょろきょろしてる所を頂きますもん。どういう事やろかと思いよったら、その兄弟三人もうそりゃ一遍会うて御覧なさい。もう本当に可愛らしいパンダのごたるです。(笑い)いや本当ですよ。もう丁度私に似てですね。こうみんな真ん丸うしとるです。もう私ははぁ三匹のパンダは、この人達だったなぁと思いました。
 もうそれこそ、あの熊本中から焦点になっておる兄弟ですからね。現在の御道のかなで。それは例えばお届けを本当にここで皆さん、御広前一杯に響く様な声でお届けをされますがですね。この度は親先生が退院のおかげを頂きまして有難う御座います。ひとえに親先生のお取次ぎのおかげで御座いますて、言う訳ですね。おかげで信者の信心もおかげを頂きました。私共もささやかながら修行させて頂きましたが、この親先生のご修行が大勢、沢山の人が助かる原動力になります様にという願いを、此処でされました。
 もう本当に涙がこぼれます。その修行がですね一つもいわば、無駄じゃない訳です。ね。そうしましたら、あの、御初穂袋に、御初穂袋じゃないですけれども。熨斗袋の大きな熨斗袋に水引が掛かっているのがあるでしょうが。あれがね緩い所を頂いたんです。あの水引が。そしたらねその水引の中に札束を、こう入れる所を頂いた。私はもうそれを頂いてね。あの信心の帯を締めよと云う事は、はぁこんな事だと思いましたね。締めるというて、締め上げるとじゃないですよ。ね。
 例えば自分のお腹が大きゅうなれば、ゆるかつはピシッと締まってしまうでしょうが。それば締め上ぐるしここうこやって、締め上げよるけん動きの取れんごとなるとじゃないでしょうか。締めるという事はははぁこういう事だと思うたです。昨日の朝皆さんに聞いて頂いた、あの金樽一斗五升のお神酒のお供えを、よその人がお供えに持って来たというお話を聞いて頂きましたね。
 一斗というのは、皆さん一党という事であり、五升(後生)とは、あの世と云う事であり。所謂あの世にも持って行け、この世にも残しておける。昨日の御理解が生きたくば信心をして、神徳を積んで長生きをせよという御理解、御教えでしたよね。神徳を受けよ仁徳を得よという、この二つのご神訓から、御理解を頂きましたでしょう。ね。本当に私は昨日の御理解は、もう合楽の信心の全てだと思うくらいに感じましたですね。皆さんどうだったでしょうか。
 成程神徳を受ける事に精進しなければならないと云う事をですね。またはその具体的な御理解でした。何回頂いても素晴らしいと、私は昨日思いました。でそう云う事が、昨日はいわゆるその、上野さん達兄弟によって実現した訳です。ね。始めの間は十日に一遍ね。おかげを頂いた。そのたんびたんびにその親先生の容態が変わる有難い方へ。次には一週間に一遍、次には五日に一遍、次にはもう三日に一遍と云う様な、頻繁なお参り四時間かかるですよ、日奈久から此処まで。
 それもツー一杯の御用をさせて頂いて、夕方からやって来るのですからどうしても、十時半十時ぐらいになる訳なんです。だからもう眠うして応えんから、兄弟で移り変わり、運転をして来ると言ってます。ね。それでそれこそ私共がご本部参拝するように、ぴしゃっとあの黒のあのね、モーニングみたいな服を揃って着てやって来ます。やはりご本部参拝でもするごたる気持ちで参って来る。ね。しかもそのそんなら内容がです、ね。それこそ帯封の中に段々詰めるのが変わって来る。
 昨日のあの金樽の一斗五升、富の寿というあれを頂いたが。あの超大関というお酒と、あの再会福寿というあのお酒を必ず、お供えにもって来るです。始めの参った時には二本、次には三本次には五本次には七本。昨日なんかは、大きな箱二箱持って来とりますから、六本ずつ入っとって十二本でしょうね。成程一斗五升だなと思いました。内容がまた変わって来るです。御初穂の中へこうやって、所謂緩んどる所へですね。おかげを頂いた印を多くしていく訳なんですよね。
 成程是で行くならおかげ頂くはずだと思いました。それこそ一番初めに私が皆さんにも聞いて頂いた様に。富永先生は良い信者をもたれて幸せだと。ね。その信心の内容が、可愛らしい事は、それこそ世界の珍獣と言われる、そのパンダの湯な可愛らしさを持っている。ね。いわゆるもう本当に何というでしょうか。ね。一にも押し二にも押しと云う事は、押して押して押し上げて行くと云う事なんですよ、やはり。ね。十日に一遍が七日に一遍、七日に一遍が五日に一遍、これが押し上げて行くとですよ。ね。
 信心の帯をすると云う事は只こう、締め上げて行くと云う事じゃなくてです。ね。自分の欠けた所を頂いて、ね。改まる所は改まって大きくなる所は、大きくならせて頂くおかげを頂くから。これがぴちっと締まって行く訳なんです。昨日その事を私は改めてね、信心の帯をすると云う事は、此の様な事であろうかと思わせて頂いた。昨日本当にあの合楽の信心の全てと思われる程しの事だったけど。頂いておる事を一言頂いていない事がある。あの忘れておった。と言うのはバランスの取れたおかげという事。ね。
 頭で分かった事が、腹でも分からなければならない。ね。只どうぞどうぞと言うておかげを願って、おかげを頂くのじゃなくてです。どうぞ子孫繁盛家繁盛を願うなら、もうそれこそ、ね。それはね例えばほこ紙一枚でも、それはそれでどうこうという事じゃないです。ね。けれどもそういう神様の御物として大切にする、その心がねおかげを頂くです。昨日ある人が、此処で話してましたが。最近そうにゃ儲けでぇた人から招待を受けたと言う。だからこの人がほんにあげな、ぼやっとしてあったつがね子供の時は。
 あげん儲けでぇたが、どげん所が儲けでぇた元になったじゃろうかと思うて、その事ばかりこう見よったち。そしたらその行きがけに、その自分がお菓子の折を持って行ったち。そしたらねそのお菓子の折の、包み紙をあの綺麗にこう折って、それからしで紐をこう丸めて綺麗にして、そして棚の上にこうやって上げられたち。ははぁこの人が儲け出たこつは、ここばいなと思うたと言うて、昨日言うた人がありますがね。あの本当に始末倹約と言う事がしかもそれが、神様の御物としてのそういう頂き方です。
 今の消費時代と言われるくらいですから、そら馬鹿らしいごとある。ね。普通から言うたら。けれどもね、そういう心根にです、金が集まって来るとです。ね。お金でも、大事にされるから集まって来るとです。そういう確か理があります。お粗末にする者の所に、寄り付くはずがないです。ね。もう一番間違いのない一番有難いところへ。例えばほんなら教会にお参りをするお供えをする。もうこんな素晴らしい所はない。
 そういう風な働きをされる人の所に集まらないはずがないです。ね。バランスの取れたおかげ。成程、儲け出しなさる、その反対には、こんなに始末倹約をしよりなさるというバランスが取れた。只ですね、ただ、腑が良うして、当てた当てたでです、ね。いうならば、始末倹約もせずに貯まったのは、もう絶対に、これは、バランスが取れてない。頭百斤尻五斤ですから、行き倒れになります。ね。
 例えばほんな、今の上野さん達兄弟の、その富永先生の事に付いてのお願いの場合でもそうでしょう。ね。是でおかげ頂けんならもう一押しすると、ね。十日に一遍なら七日に一遍七日に一遍なら五日に一遍。しかも今度はその御初穂であろうが、お供えであろうがですね。ほんなら、お酒の方にしましてもです。始めは二本次には三本、次には五本次には七本。ね。昨日は十二本。しかも熊本で一番最高の酒と云う訳でしょうね。あの超特級の西海福寿なんかと言うのは。恐らくそうだろうと思うんです。ね。
 それでおかげを受けるのですから、こら、バランスが取れるはずです。ね。皆さんにいきなり真似せろじゃないけれどもです。ね。けれども信心の言うならば本当に進め方。昨日は若先生があの上野さんの事について、一口言っておりましたが。丁度青年会の時に、遅く参って来たんです。先日二日。それで私はお話だけしてから立ちましたから、後二人のその上野さん達兄弟に、何か一言はなしてくれと言うて、色々まぁ大変感銘を受けたと云う訳なんです。その中にですねよその子供を乗せた。ね。
 それで子供にその何かお菓子かなんかをやる訳です。だから是から、あそこの何所何所まで、もう生神金光大神様、生神金光大神様ともう、声一杯でおらんで行けち言う。そすと是ばやると言うきん、もう子供がもう火のおらびで、生神金光大神様生神金光大神様て、やっぱそのお菓子貰いたいから言う訳です。言うなら、人に対しても、そういう生き方をする人なんです。是は、一生懸命で、おらぶという事は、大変な事なんですよね。例えばあの、なんと言うですか、大阪の泉南教会なんかそうですね。
 もうとにかく御広前で、信者同士会うたらお目でとう御座いますち、もうそりゃもうほら手をぽんぽん叩いてから、そう言うんですよ。だから私はもう言うだけでも、今日の御理解で言うなら元気な心だと思うですね。元気な心でしょう例えば此処でもです。とても御広前中に響く様な声じゃ、可笑しゅうして言い切らん。それをあの火のおらびして、言わせるという事は一つのやっぱ、真理だと思うですね。神様へ一生懸命に向けた、ね。と言うて皆さんにそれを真似しろという訳じゃないですよ今日の場合。ね。
 そういう言うなら信心の進め方をする人。皆さんの例えば信心がです。お互い一つ腰折れ腰の折れた箒で、幾ら掃わいたっちゃ綺麗にゃなりません。七分、八分目で止めればです。何時までたっても、井戸の水は濁っておる様なものじゃと仰るのはその事。私は今日そのご神願を頂いてこの二十八節、ここを頂いてから本当にそうだなと思うた。自分な掃わきよる積りです。ね。けれども腰の折れとるもんその箒が。だから本当に腰折れの信心じゃない。むしろです、ね。それが段々段々くが入って来るというか、腰が入って来るという信心になって来なければ。ね。病気災難は、根の切れるまでね。一心にまめで繁盛するよう元気な心で信心せよ。
 皆さんそれを本当に、最近ここで言われる五つの願い。また毎朝の御理解を頂かせて頂いてです。本当に家内がどうして参らんかと。お前だんどうして親先生が、あげん言いよりなさる。一家中が勢を揃えてと言いよりなはっとに、お前どんなし参らんかと言いたい心が起こります。私も、今朝、ほんなら、いわゆる、あるご信者の事に付いて、その心が起こった。所が、そういう心が責める心なんだ。ね。
 そこで責めるとではなくて、頼めとこう仰る。ね。頼んだからとて、ほんならそれに依存するというのじゃない。この頃ご本部の奥城で頂きました様にね。私が皆さんにも聞いて頂いた様に、ね。如何にもお前家内に頼っとる子供に頼っとるごたる。頼むというのですからどうぞと言うて。ね。けれども、それは家内がおかげを受けねばならぬからである。息子がおかげを受けねばならぬから頼むのである。と言う様なね内容の頼むで勿論なからなければなりません。
 お互いそれこそ信心の帯をすると云う事は、ね。成程ずんだれとるならまぁ丁度好い加減に、締めもしなければなりませんけれども。それよりか本気で改まって行くというか、ね。小さいお腹を大きくして行けれる、ね。辛抱の出来ん様な所でも辛抱させて貰えれるおかげを受けた時。ね。はぁ今までほんなら百円のお供えをしよったつを、一つ二百円にしてみて、それを締めて詰めて行くと云う事はです。どうでしょう、ね。
 緩んどる所へ札束の一つもこうやって押し込んで、そしてしゃんとする様な私は信心をねさせて頂いたら、もうどういう事になるでしょうかね。おかげを頂くと云う事なんですからね。二升のおかげより三升、三升のおかげより五升、五升のおかげより七升、七升のおかげよりも一斗何升と言った方がおかげでしょう。お供えでもそうでしょうね。百円のお供えが出来よったのが、二百円のお供えが出来る様になる事の方が、有難いでしょうもん。二百円よりも千円のお供えが出来る事の方が有難いでしょうもん。ね。
 あーた達の腹を絞ってからお供えせろというのじゃない。おかげを受けてというのだから。ね。そう言う所に、信心の、いわゆる、バランスが取れて来る。それこそ、おかげも、昨日、富永先生が仰っておられる様に、只ただ、もう、医者がたまがっておりますと。熊本の、田舎の病院に居られましたけれども、田舎の病院に行かにゃ、焦げな複雑な病気は、田舎の病院では出来んと、入院する時に言われた。ね。
 だから、変わると云う事のお届けがありましたからです、ね。気が進むならばってんか、気が進まんごたるなら、そのまま、そこでおかげを受けなさいと言うて腹が決まった。そして、近所の田舎の病院でおかげを頂いて、それもです、もう、とにかく、お参りをして来るたんべんに、容態が変わって来ると云う程しのおかげを頂いた。ね。だから、おかげを頂かせて頂くたんべんにです、ね。信心の帯を締めていく、中に詰め込んでいくたんべんに、おかげを受けて行くのですから、楽しい事でしょう。ね。
 それこそ、神様がご覧になって、ね。まぁ何んと、可愛らしぃ氏子じゃろうかと思われる様な心根、心掛けを持ってね、信心させて頂く。しかも、バランスの取れた。どうぞ、家繁盛子孫繁盛をお願いしますと言うてから、頂いたおかげは、もう、頭百斤の様なおかげですよ。ね、言うならば。または、どん腹だけ大きいという信心ですよ。ね。えらいこりゃ、お腹が大きくなったと思いよったら、腸満じゃった。水が出たらピシャッとしたという様なおかげにしかならんです、そげなおかげは。ね。
 頭で分かり、腹で分かり、言うなら、バランスの取れた信心。言うなら、こういう願いをするからには、こういう誓いを立てて修行させて貰う。商売繁盛を願うなら、ね。よそよりも勉強をする。忠実に働きもする。お客さんにサービスも良くする。そう致しますから、商売繁盛のおかげを頂かせてくださいと願わなければ、バランスの崩れたおかげになって来るです。只、商売繁盛、商売繁盛ば願うて、願うけん頂いたち言うおかげでは、これは、バランスの崩れたおかげ。ね。
 それの引き当てである所の信心が出来て頂いたおかげを、私は、バランスが取れた信心だ、おかげだと思うのです。そういう信心をです。それこそ、まめで一心に、繁盛する様、元気な心で信心させて頂く。ね。それには、ね。自分の信心を振り返ってみて、はぁ自分の信心は、腰砕けだなと思うたら、一つ、もういっちょ、腹を入れ替えて、本腰入れて、是だけは、どうでもと言う様な元気な心を持って、信心を進めて行かなければいけないと思うですね。
   どうぞ。